
ロビイングはなぜ避けられるのか
ロビイングという言葉には、どこか後ろめたい響きがあるように思います。料亭での密談や、献金と引き換えの便宜、一部の業界だけが得をする制度づくりといった光景を思い浮かべる人も、すくなくないのではないでしょうか。
しかし、立ち止まって考えてみると、企業や団体がみずからの事業にかかわる制度について、行政や議会に情報を届け、意見を述べることそのものは、政策をつくるうえで欠かせない営みです。なぜならば、現場の実情を知らないままつくられた規制は、守られないか、守るために過大な負担を生んでしまうからです。制度をつくる側もまた、現場からの情報を必要としているのです。
そうだとすれば、問題は、働きかけること自体にあるのではなく、働きかけが外から見えないことにあるのではないでしょうか。本稿では、ロビイングとパブリックアフェアーズの関係を整理し、日本でネガティブに語られてしまう理由を考えてみたいと思います。
パブリックアフェアーズとは何か
パブリックアフェアーズ(Public Affaires、PA)とは、企業や団体が、行政、議会、自治体、業界団体、NPO、地域社会、メディアといった公共的な領域の関係者と向き合い、事業と社会の双方にとってよりよい環境をつくっていく活動のことです。
ロビイングは、このうち政策決定にかかわる人々へ直接働きかける部分にあたります。PA には、そのほかにも政策動向の把握や、法令や統計にもとづく論点の整理、影響を受ける住民や利用者との対話、社会への発信などが含まれています。つまり、ロビイングは PA という大きな営みの一部分にすぎないのです。
どういうことかと言うと、ロビイングだけを切り出してしまうと、声の大きさや人脈の勝負のように見えてしまいます。しかし、PA 全体のなかに置き直してみると、それは根拠を示し、関係者と対話し、社会に受け入れられるかたちを探っていく一連の過程の、ひとつの局面としてあらわれます。したがって、働きかけが正当であるかどうかは、その前後の過程がどれだけ確かで、ひらかれているかによって決まると言えそうです。
透明性は誰が担うのか
働きかけを外から見えるものにする責任は、まず働きかける側にあると私たちは考えています。なぜならば、みずからの主張がどのような根拠にもとづき、誰の利益にかかわるのかをもっともよく知っているのは、主張する本人だからです。
実のところ、日本の政策過程には、働きかけをひらかれたかたちで行うための場がすでに用意されています。行政手続法にもとづく意見公募手続、いわゆるパブリックコメントはその代表例です。審議会でのヒアリングや、議会の委員会で参考人として意見を述べる機会なども、主張を公の記録に残しながら届ける経路と言えます。
こうした経路を通じた働きかけでは、誰が何を求めたのかが、おのずと記録として残ります。ほかの関係者や市民はその主張を読み、反論することができます。つまり、働きかけそのものが検証と批判の対象になるのです。
もちろん、個別の面談や意見交換がすべて不当だというわけではありません。現場の事情を伝えるには、顔をあわせた対話が欠かせない場面もあります。大切なのは、そこで何を求めたのかを、あとから説明できる状態にしておくことだと言えるでしょう。
不透明さは何を損なうのか
では、働きかけが閉じた場だけで行われ、その中身を外から確かめられない場合には、どのようなことが起きるのでしょうか。
見えない働きかけは、それが正当なものであっても疑われてしまいます。反対に、不当な働きかけは埋もれたままになってしまいます。ですから、ロビイングという言葉に後ろめたい響きがつきまとうのは、働きかけそのものの性質によるというよりも、その中身が見えないことの裏返しなのだと考えられます。
この不透明さは、ふたつの損失を生みます。ひとつは、社会が政策のでき方を検証できなくなることです。もうひとつは、人脈をもたない中小の事業者や新しい産業が、正当な声を上げにくくなることです。閉じた場での働きかけが当たり前になれば、有利になるのは、すでにその場に席をもっている者だからです。
私たちに何ができるのか
それでは、登録制度がないからといって、透明性を確保することはできないのでしょうか。かならずしもそうではありません。働きかける側がみずから手続きをひらいていくことは、今日からでもできるのです。たとえば、次のような取り組みが考えられます。
- 提言や要望の内容を可能な範囲で公開する
- 主張の根拠となるデータや資料を示し、都合のよい事実だけを選ばないようにする
- その政策で暮らしが変わる人々を、検討の出発点に置く
- 反対の意見や、合意に至らなかった論点があることを隠さない
ひらく研究所は、閉じた場での取引に頼らず、検証と批判にひらかれた手続きで進めることを、原則のひとつに掲げています。それは倫理的な姿勢であると同時に、実務のうえでも理にかなっています。外から確かめられる働きかけは、政策が変わったあとも疑われにくく、制度が社会に根づく助けになるからです。
ロビイングに疑いの目が向けられるのは、働きかけそのものではなく、その不透明さに原因があるのではないでしょうか。働きかけを料亭の奥座敷から、記録と検証にひらかれた場へと連れ出していくことが、いま求められているのだと思います。政策の扉は、そうしたひらかれた手続きによってこそ、ともにひらくことができるのではないかと、私たちは考えています。
参考文献:
- ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』、『コミュニケイション的行為の理論』、『事実性と妥当性――法と民主的法治国家の討議理論にかんする研究』
- カール・R・ポパー『開かれた社会とその敵』

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